@article{oai:iwate-u.repo.nii.ac.jp:00010488, author = {宇佐美, 公生}, journal = {岩手大学文化論叢, The report of social studies, the Faculty of Education, Iwate University}, month = {Mar}, note = {現代の「心の哲学」は,脳科学,コンピュータ・サイエンス,進化心理学,遺伝子工学などの研究の飛躍的な進歩に支えられ,近年はその「自然主義」への傾きをますます強めている。心の哲学の「自然主義化」とは,G・ライルの『心の哲学』が,デカルトの心身二元論を「機械の中の幽霊」として論理的行動主義の立場から批判して以来,英米系の哲学者達を中心に推し進められてきた物理主義,機能主義,還元主義など複数の流れの総称である。そして特にW・O・クワインの「自然化された認識論」以降は,デカルト以来の基礎付け主義への批判と相まって,その流れが加速されてきた感がある。「自然化された認識論」とは,端的に言えば「心の自然化」とでも表現できる事態であって,心の働きを,ことごとく(脳に代表される)物理的世界に根拠を持つ機能として捉えようとする物理主義的考え方である。  こうした物理主義に支えられた現代の認知科学から見た時,カントの心の哲学は,現代の認知科学に対して先駆的なものとして比較的肯定的に受け取られる傾向にある。ところがその一方で,カントが道徳のために留保した形而上学的側面は,現代の自然主義者からは,「一種のおとぎ話」「哲学者特有の職業的心身障害」(デネット)と評せられている。とは言えカントには,心の哲学に始まり実践的領域へと流れ込む自然主義の水脈があることもまたたしかである。 本稿では,現代の自然主義に先駆する地平を開きながら,最終的にカントはどうして自然主義にとどまることができなかったのか,言いかえればどのような点でカントの実践哲学は自然主義と一線を画すことになるのか,その理由をカントにおける自然主義の水脈を追跡することでさぐってみたい。}, pages = {23--38}, title = {カントの実践哲学における自然主義の水脈について}, volume = {7-8}, year = {2009} }