{"created":"2023-05-15T12:05:47.134474+00:00","id":10495,"links":{},"metadata":{"_buckets":{"deposit":"5d3ce105-fe81-46f0-823d-f8dd81ee9ed1"},"_deposit":{"created_by":3,"id":"10495","owners":[3],"pid":{"revision_id":0,"type":"depid","value":"10495"},"status":"published"},"_oai":{"id":"oai:iwate-u.repo.nii.ac.jp:00010495","sets":["1523:1528:1532"]},"author_link":["88869","88870"],"item_41_biblio_info_7":{"attribute_name":"書誌情報","attribute_value_mlt":[{"bibliographicIssueDates":{"bibliographicIssueDate":"2009-03-31","bibliographicIssueDateType":"Issued"},"bibliographicPageEnd":"159","bibliographicPageStart":"145","bibliographicVolumeNumber":"7-8","bibliographic_titles":[{"bibliographic_title":"岩手大学文化論叢"},{"bibliographic_title":"The report of social studies, the Faculty of Education, Iwate 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2005年3月5日,歴史教育研究會・歴史學會・韓國歴史研究會の3学会共同の学術シンポジウム「日本の歴史教科書に対する韓・日両国の視角と共同対応方案」がソウル博物館で開催された。韓国からは,安秉佑(韓神大)・宋相憲(公州教育大)・朴星奇(河南高)の各氏が,日本からは,君島和彦氏と私が登壇して報告した。『新しい歴史教科書』の改訂版が検定審査中であったことから,私は,「新しい歴史教科書をつくる会」の会誌『史』や藤岡信勝・西尾幹二氏らの著作を用いながら,まだ見ることのできない改訂版の特徴を類推して批評した。質疑応答のときに,一人の老人が激昂した口調で発言した。通訳の方に訳してもらおうとすると,「俗語が多くて,わかりません」として申し訳なさそうに眼を伏せていた。その老人の口調と通訳の方の様子から,私と,そして日本人に対する非難であろうことは理解できた(会の終了後,日本の留学生から確かめることができた)。また,シンポジウムが終わったあと,テレビ局の取材をうけたが,インタビュアーは,今回の改訂によって歪曲が如何にひどくなったのかということを私に語らせようと幾度も尋ねてきた。しかし,先に述べたように,未だ検定審査中であり,白表紙本を見ることができない状況で不確かな発言をすることはできなかったし,何よりも,そのときの報告で指摘したように,公刊された著作や資料などからは,むしろ,「表現は『洗練』されて簡潔になり,客観性の高いものであるかのように装われ」るであろうと考えていた。そのためインタビュアーの望むような回答にはならなかった。そこには,自らが聴きたい声だけを聴きだそうとする作法があった。そして,日本に戻ってきてインターネットなどで眼にしたのが,公開前の白表紙本を流出させたとでもいうような事実無根の非難であった。事実を検証することもなく浴びせられる言葉の激しさに困惑した。私がこの報告の最後に紹介したのは,「日本人は韓国人の声を『他者の声』として傾聴し,韓国人は日本人の声を『他者の声』として聴く」ことの重要性を述べた都正一氏の言葉であった。相互に「他者の声」に耳をすますことから始めるべきだという私のメッセージは,二つの国の激しいナショナリズムの立場から挟撃され,それぞれのポリティクスによって,受け入れられずに,宙づりにされたような感覚におそわれた。\n 「東アジア」や「東北アジア」(「北東アジア」とする議論もある),そして,それらのなかにある交流や対抗の歴史に向きあうということは,具体的な授業レベルから歴史研究のレベル,そして,激しい政治のレベルまでを含み込んで,考えなければならない難問に満ちている。それらの難問を解きほぐすために,その前提をつくるために,本稿では,まず,これまでの「歴史対話」「歴史教科書対話」とはどのようなものであったのか,代表的なものを簡略に紹介しながらその意義を明らかにしてみたい。そして,歴史科目としての「東アジア史」の可能性について検討するなかから,歴史教育と社会科歴史の交差するところを考えてみたい。","subitem_description_type":"Other"}]},"item_41_full_name_3":{"attribute_name":"著者別名","attribute_value_mlt":[{"nameIdentifiers":[{}],"names":[{"name":"KONNO, 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