@article{oai:iwate-u.repo.nii.ac.jp:00010637, author = {星野, 勝利}, journal = {岩手大学英語教育論集}, month = {Mar}, note = {ロングアイランドに住むさる若者が、その地を去るに当たり、宅地の前の浜辺に寝ころぶ。遠くに点滅するフェリーの明かりを眺めながら、この若者は夕闇の中でこの土地の過去のことに想いを馳せる。オランダ人船乗りたちが始めてこの地を目にした時、いまでは高級住宅地と化したこの場所は、見渡す限り樹木と花に覆われた「新世界という鮮やかな緑なす乳房」(9章)の世界であった。 隣家の青年ギャツビーについて語る『グレート・ギャツビー』(The Great Gatsby)の語り手ニックは、ロングアイランドを去るにあたり、隣人ギャツビーと新世界アメリカとの関係について思いを巡らす。かつての緑の世界は宅地に姿を変えてしまったが、この高級住宅地に住むことを生涯の夢とした青年ギャツビーにとって、この夢に向かって生きることは、ニックの見るところ、黒々と不気味に広がる「共和国の平野」に「ボート」を漕ぎ出し、「陶酔に満ちた未来」(同前)を目指すことと等価であった。 『白鯨』(Moby-Dick)の語り手イシュメイルは、捕鯨について語る。ロングアイランドに隣接するマンハッタンの街に住むこの若者は、街を後にして、捕鯨基地に向かう。青年ギャツビーが「陶酔に満ちた未来」に向けて「ボート」を漕ぎ出したように、青年イシュメイルは、「遥かなるもの」としての鯨を求めて、勇躍「世界の海原」(1章)に船出する。 語り手ニックは、ギャツビーの生の在りようを、場所と時間の関係で捉える。共和国アメリカという一個の場所と歴史との関係で眺める。イシュメイルの場合はどうか。捕鯨船やエイハブ船長の在りようは、場所や時間とどのように関わるものなのか。そもそもアメリカ文学において、場所(土地)や時間(歴史)は、どのような意味をもつものなのか。}, pages = {101--115}, title = {新世界との対峙 : ニューイングランド文学とバイオリージョナリズム}, volume = {10}, year = {2008} }