@article{oai:iwate-u.repo.nii.ac.jp:00010640, author = {木村, 直弘}, journal = {岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要, The journal of Clinical Research Center for Child Development and Educational Practices}, month = {Feb}, note = {戦後日本を代表する作曲家・武満徹は,世阿弥能《井筒》についてのエッセイで次のように述べている。「井筒」は,穏やかな構成の中に凛とした品位を具えている。作能上の様様な手段(てだて),例えば綴織のように,地に豊かな陰翳をもたらしている縁語や音韻の懸かりことばの眩くまでの多用は,たんに情景や心理の表面的な修辞に留まってはいない。それらの書かれたことばが音(おん)として顕わすものは,限定された意味世界を超えている。~(中略)~音(おん)の多様さが意味の多義性と相俟って,観衆(聴衆)に異常な力で働きかけてくる。外へ拡散(逸脱)する力と,内へ向かう求心的な力,その相互に反する力が作用する場こそ劇的空間と謂うものであろう。~(中略)~「井筒」は無限の読まれ方(観かた,聴きかた,感じかた)を諾(ゆる)している。(1)「無限の読まれ方」を可能にしている一因は,まさに「縁語や音韻の懸かりことばの眩くまでの多用」であることは言を俟たない。まさに綴織のように,幾重にも張りめぐらされたその糸の複雑なテクスチュアから成るテクストは,いわばハイパーテキストであり,音から音へと進行するにつれて,そのハイパーリンクは膨れあがる。ウェブサイトであれば,そうしたリンクは一対一であるが,ここでは音を共有する語が単純であればあるほど,その多義性は増し,多様な読みを可能にする。能楽師(ワキ方)安田登は,こうした途切れず繋がる音の連鎖,すなわち「掛詞による無限連鎖文章作法」を,総合芸術作品としての「楽劇 Musikdrama」を創始した作曲家リヒャルト・ヴァーグナーの作曲技法「無限旋律」に喩えている2。たとえば,《井筒》の「互に影を水鏡」であれば,「水」の「み」が前の語「影」を目的語として受ける述語「見」と,後の語「鏡」と結合して名詞を形成する「水」の掛詞となる。西洋音楽の用語で喩えれば,掛詞は,転調の軸となる和音=ピヴォット・コードpivot chord として機能しているが,能ではカデンツ的「解決」は先延ばしにされ続ける。さらにヴァーグナーの作曲技法に喩えれば,掛詞の作用は「示導動機 Leitmotiv」的機能をも有しているとも謂えよう。ただしヴァーグナーのライトモティーフは,ハイパーリンクと同様「示導」する対象が一対一であるのに対して,掛詞はリンク多様な広がりの可能性を胚胎している。}, pages = {9--44}, title = {〈ナ〉のモルフォロギー : 世阿弥能《井筒》における対位法的〈原構造〉をめぐって}, volume = {9}, year = {2010} }