@article{oai:iwate-u.repo.nii.ac.jp:00010658, author = {木村, 直弘}, journal = {岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要, The journal of Clinical Research Center for Child Development and Educational Practices}, month = {Mar}, note = {日本人はいったいいつ頃から大声をあげて突くことを慎むようになってきたのであろうか。  現代日本の葬儀において,たとえば「働芙」といった言葉からイメージされるような大仰に声を挙げる突きを見聞きすることはあまりない。一方中国人や韓国人の悲哀の表現には依然として声を張り上げた「突き」が存する。こうした差異は,短絡的に情緒面の民族的差異へと還元されがちである。しかし儒教社会における葬儀で「突き」は必須の儀礼的アイテムであり,それは単に感情的に悲しいから自然と号泣するというレベルではなく,「突」すなわち意識的に大声を発することが必要となる。それは単に声を出すだけに留まらない。『礼記』檀弓篇下に「騨踊,哀之至也」とあるように,胸を叩く「騨」や足踏みをする「踊」は,葬儀における最も深い哀悼の意の表現とされた。しかし,それに続けて「有算,為之節文也」とあるように,その表現の度合いは必ず適切に調節されねばならない。母が死んだため子供のように泣く者を見ての孔子の言「哀別哀臭,而難馬纏也。夫薩,為可博也,為可継也,故実踊有節」(『礼記』檀弓篇上)からもわかるように,巽も踊もあくまでも後々まで伝えられるべき礼であるため節度が必要とされた。しかし日本においては,節度ある(あるいはコントロールされた)「突き」は却ってわざとらしいものとしてネガティヴに捉えられる。それはあくまでも表出されることを慎まれる,つまりは音声として公に発せられない方が節度があると見倣されるのである。  民俗学者柳田囲男は,昭和15年8月7日「国民学術協会公開講座」での講演をもとに昭和16年8月に上梓されたエッセイ「沸泣史談」で,日本人が近年大人も子供もめったに泣かなくなったことに着目し,その原因について考察している。柳田によれば,言語を唯一の表現手段と考えがちな「学問の化石状態」下にあって,「泣く」という行為が言葉を用いるより簡明かつ適切な自己表現手段であったことが忘れられ,このような思考は「新たに国の進路を決しなければならぬ当代に於ては,殊に深く反省して見るべき惰性又は因習」(1)である。この国で少なくとも人前でおおっぴらに泣くことが悪徳であるかのように言われ始めた時期を柳田は中世以降と推察し,こうした行為が社会から排斥されるようになったのは,江戸時代の義太夫等に聴かれる働笑の声のように,泣くことが表現方法として非常に有効であり「乱用の弊」があったからとも考えられるとした。そもそも「男は泣くものではない」といった教訓は逆に「女ならば大人でも泣くべし」という理解が人口に胎灸していたからだというのである。大人による表現としての泣きの用途として柳田が挙げているのは,「デモンストレエション(demonstration)」と「ラメンテエション(lamentation)」である。前者は,夫婦喧嘩の際等で,大きな声を立てることによって周囲の注意を喚起し,第三者の公平な判断を味方につけようとする用途であり,後者は神や霊を送る時の方式で,いわゆる儀礼的泣きである。たとえば三月の節句での雛送り(流し雛),盆の十五日の魂送り,あるいは葬式における「泣き女」といった風習からも看取されるように,泣きは,行事に欠かせない慣習的約束事であった。盆や葬式においては,死者との別れといった感傷を伴うため,実感がこもった心からの泣きとの区別がしにくいわけだが,柳田によれば,そこに言語的混同が生じた原因がある。つまり,忍び泣きと呼ばれるナク(「涙をこぼす」「悲しむ」「哀れがる」等)と,表現手段としてのナクとは単語が同じでも全く別種のものであるとされる。}, pages = {37--66}, title = {ツツまれる哭声 : 能における境(鏡)界のセミオーシスをめぐって}, volume = {8}, year = {2009} }