@article{oai:iwate-u.repo.nii.ac.jp:00010826, author = {木村, 直弘}, journal = {岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要, The journal of Clinical Research Center for Child Development and Educational Practices}, month = {Mar}, note = {「芸術家離れした気質,冗長な音楽哲学,風変わりな禁欲生活」。『ニューグローヴ世界音楽大事典』では,ヘルマン・バール(1863~1934),オットー・シュテッスル(1875~1936),ヘルマン・ヘッセ(1877~1962),フランツ・ヴェルフェル(1890~1945)ら20世紀前半に活躍したドイツ語圏の文豪たちがこぞって,同時代にヴィーンで活動したアルノルト・シェーンベルク(1874~1951)に先駆けて1919年夏に12音技法を発見したがシェーンベルクに比べはるかに知名度が低い作曲家ヨーゼフ・マティーアス・ハウアー(1883~1959)に取材した理由を,そこに見る(1)。しかし,そうした(独特の風貌も含めた)目先の興味本位で片付けられるほど,事は単純ではない。すでに拙稿(2)で明らかにしたように,たとえばヘッセの『ガラス玉遊戯 Das Glasperlenspiel』とハウアーの《12音遊戯 Zwolftonspiel》との間には,当時の芸術上のトポスであった「結晶 Kristall」概念が通底しており,それは思想家ヴァルター・ベンヤミン(1892~1940)による表現主義の作家パウル・シェーアバルト(1863~1915)の評価とも重なっていた。ここでのポイントは,シェーアバルトが「ガラス建築」を倫理教育と結びつけたように,ヘッセもハウアーもその創作活動を通して,精神的「陶冶 Bildung」を常に意識し強調していたことである。そこでは,「結晶」概念は,「陶冶」が最終的に目標とする普遍的な原理(プラトン的イデア)の象徴とされていた。ハウアーの作品には,副題に「Haemonie, Melodie, Rhythmus in kristallinischer Bindung(oder Ordnung)」という表記をもった《12音遊戯》が多く含まれるが,ハウアー自身は,他人がそこにみられる「結晶的な形式構築」への楽曲分析的興味をもつことを斥ける[GA:304](3)。}, pages = {137--158}, title = {完全なる思考としての〈解釈〉 : ヨーゼフ・マティーアス・ハウアーの音楽思想におけるフレーベル教育思想の影響をめぐって}, volume = {14}, year = {2015} }