@article{oai:iwate-u.repo.nii.ac.jp:00011305, author = {木村, 直弘}, journal = {岩手大学教育学部研究年報}, month = {Mar}, note = {〈音風景〉とは,カナダの現代音楽作曲家・音楽教育家マリー・シェーファー(1933~)が1960年代末に,「音」を意味する「サウンドsound」と「~ 景」を意味する接尾語「~スケープ-scape」から造語し提唱した「サウンドスケープSoundscape」という術語の訳語である。以下,日本サウンドスケープ協会公式ウェブサイトの用語説明から一部を引くと,サウンドスケープという用語とその考え方は,地球上のさまざまな時代や地域の人々が, 音の世界を通じて自分たちの環境とどのような関係を取り結んでいるのか,どのような音を聞き取りそこからどのような情報等を得ているのかを問題とし,それぞれの音環境を個別の「文化的事象/音の文化」として位置づけます。したがって,サウンドスケープとは「世界を聴(聞)く行為,音の世界を体験する行為によっておのずと立ち表れてくる意味世界」であるともいえるのです。 人間とその音環境との関係を探るにあたって,シェーファーがこのサウンドスケープの重要な特徴として挙げたのは,〈基調音Keynote sounds〉〈音信号Sound signals〉〈音標識Soundmark〉の3つである。〈基調音〉とは,ある共同体にあって,いわば後景的に(ゲシュタルト心理学的に言えば「地」として)絶えず鳴り響いているが意識的に聞かれることはない音を指す。これに対し,〈音信号〉とは,特定の意味を伝達し,前景(ゲシュタルト心理学的に言えば「図」)として意識的に聴かれなければならない音である。そして〈音標識〉とは,〈音信号〉の中でも特に共同体によって尊重され,注意されるシンボル的意味合いが強い音を指す。 たとえば,岩手県の平泉を例にとると,世界文化遺産に登録された観光地であるので,〈基調音〉としては,観光バスや観光客のたてる賑やかな音などが挙げられるだろうし,〈音信号〉としては,平泉町役場から毎日正午に流されるチャイムや,午後5時に流される「夕焼け小焼け」のメロディなどが挙げられる。そして,〈音標識〉としては,毎年ゴールデンウィークに(社)平泉観光協会主催で行われる「春の藤原まつり」における様々な音がそれにあたる。別表(57頁参照)に示したように,空間的には,中尊寺および毛越寺という両極とそれらを媒介する中間的場としての駅前広場や旧観自在王院庭園など,3つの空間に分けられる。そして,両極を媒介するものとして,町内神輿および県内の各国体による郷土芸能が,かならずその3箇所で披露される。 また,時間的にみても,やはりこの「春の藤原まつり」は3部分に大別されうる。すなわち,第一は,中尊寺・毛越寺両極でほぼ同時進行する,前半の,開山大師や藤原四代あるいは源義経の供養法要といった仏教祭祀,第二は,後半の,古実式三番や延年の舞などに代表される神事的伝統芸能に,そして第三に,観光的にはこのまつりのピークと位置づけられる「源義経公東下り行列」に顕著な,両極間を結ぶ移動的イヴェントである。よって,「春の藤原まつり」の〈音風景〉は,観光客や観光車両のたてる地の音を背景に,交差点での信号音や平泉駅での列車の発着音などの〈音信号〉も含みつつ,すぐれて平泉を特徴づける〈音標識〉,すなわち仏教儀礼の音,神事的伝統芸能の音,郷土芸能の音,そして,行列の先導あるいは中間地点での吹奏楽やラジオ拡声器による大音量の音,などによって構成されていると言える。 さて,春の藤原まつりのようなまさに今現実に鳴り響く音の世界だけでなく,たとえばこの平泉の地に,かつてどのような〈音風景〉があったのかについては,ジェーファーが「耳の証人」と呼ぶところの,さまざまな古文書等の記録類や文学・神話,あるいは絵画史料などを手がかりとして推測することが可能である。そこで,この小論では,前掲・平泉におけるいにしえの〈音風景〉を今に伝える絵画史料「平泉諸寺祭礼曼荼羅(ニ幅一対・紙本著色,中尊寺蔵・桃山末期~江戸初期)を「耳の証人」としてとりあげ,そこに描かれた〈音風景〉が示す「音の文化」を明らかにすることを目的とする。そこで注目すべき〈音風景〉としては,右幅に描かれた「御一馬(おひとつうま)」,左幅に描かれた「哭(なき)まつり」と「印地打」,そして両幅に描かれた「鐘声」が挙げられるが,本稿では,紙幅の都合上,これらのうちから「御一馬」をめぐる〈音風景〉に考察対象をしぼり論じてゆくことにする。}, pages = {39--57}, title = {平泉〈音風景〉のアルケオロジー : 御一馬をめぐって}, volume = {72}, year = {2013} }