@article{oai:iwate-u.repo.nii.ac.jp:00012699, author = {中村, 一基}, journal = {岩大語文}, month = {Nov}, note = {死後、肉体は腐る。しかし骨は朽ちず。ただ、その骨もいづれの日か朽ちる。それが、自然の摂理である。この自然の摂理の過程のなかに、人間は火葬という葬法をもちこみ、骨化を早める。骨化が白骨を目指したとしても、はたして白骨は遺骨の意識と結びつくのか。古代から中世にかけての葬送史を俯瞰した時、〔納骨/散骨〕という遺骨処理に注目せざるを得なかった。それは、どの程度の浸透力をもって人々の葬送習俗の規範となったのか。〔納骨/散骨〕という遺骨処理の方法は、〔遺骨尊重/遺骨軽視〕の意識とパラフレーズするのか。さらに、霊魂の依代としての骨という観念と、祖霊信仰の成立との関連は霊肉二元論の次元では把握しきれない問題を孕んでいる。その意味で、山折哲雄の次のような方法論は示唆的であった。「死」の問題を「霊と肉」の二元的構図のなかでとらえようとする方法にたいして、もう一つ、「霊と肉と骨」という三元的な立体構成のなかで考察する方法が、わが国の場合とりわけ有効でもあり、かつ必要でもあるのではないか。(『死の民俗学-日本人の死生観と.葬送儀礼-』第1章「死と民俗-遺骨崇拝の源流-」)白骨という強力な磁場が遺骨崇拝に働いているのではないか。山折が「遺骨崇拝の源流」を考える上で、重要なモメントとしてあげる「十一-十二世紀における納骨信仰の形成」(同)の背後に、白骨という強力な磁場の存在を思い描く。さらに、磁場の形成に民俗としての〔〈白〉のシンボリズム〕が強く働いているのではないか。}, pages = {1--9}, title = {白骨と遺骨崇拝}, volume = {8}, year = {2000} }