@article{oai:iwate-u.repo.nii.ac.jp:00012761, author = {大畑, 荘一}, journal = {思想と文化}, month = {Feb}, note = {自由の問題を論じようとするばあいに,それはわれわれの行く手に障害として聳立している絶壁のように感じられる。この論議は古来より哲学上の重要な問題とされ,いくたびとなく論議の対象となりながらいまなお今日に至るもその結論を見出すことができないほど,極めて困難な問題である。いわば永遠の課題ともいうべき問題である。イマヌエル・カントは自由の問題を哲学のつまづきの石といって1),自由について語ることのいかにむづかしいことであるかを述べている。その困難さの原因は,何よりもまず自由の問題の多次元的な構造にあるといわなければならないであろう。つまり自由の概念内容がいかに驚くべくほど豊富であるかを知ると同時に,自由の内容そのものが極めて多義的である為に,その間題の焦点が不明瞭になってくるのではないかと考えられる。けれどもこの間題は,容易に解こうとするには,あまりにもその意義は深く,問題の領域は広い。われわれが自由の問題のまえに,しばしば呆然として立ちどまらざるをえなくなるのはそのためである。しかしかりに蟷螂の斧のたとえのようであっても,われわはこの問題に,真正面からとりくんでいかなければならない。}, pages = {5--20}, title = {自由の理念}, year = {1986} }