@article{oai:iwate-u.repo.nii.ac.jp:00012764, author = {中村, 文郎}, journal = {思想と文化}, month = {Feb}, note = {デカルトの『省察』はモンテーニュが点火したピュロン主義の衝撃の下に書かれており,その叙述形式も懐疑主義の論理構成を不断に顧慮せざるをえない立場に置かれていた.このため特に「第-省察」の懐疑主義的議論は,ボブキンによれば,伝統主義者とピュロン主義者の両陣営から不評を招くことになった1)。当時ピュロン主義者は自由思想家と同一視され,そして自由思想家は日常語としては道徳的に放縦な人々と解されていたので,伝統主義者は「第一省察」の議論を道徳的に危険だと警告したのである(「第七反論」)。これに対してピュロン主義者は,出発点の表面上の類似のために,「第一省察」に対しては概ね好意的であるが,しかし簡単な論評しか残していない(「第三反論」「第五反論」)。彼らの論評全体の趣旨は,ピュロン主義の立場からみて,「第一省察」は不徹底であり,残りの五つの省察は到底許しがたいという点にあった。両陣営に共通しているのは,「第一省察」が完全にピュロン主義的精神の下で叙述されているという見解である。 けれども,誰の眼にも明らかなように,『省察』は懐疑主義の克服の記録なのである。デカルト自身,自分の懐疑を方法的懐疑と特徴づけることによって,「ただ疑わんがためにのみ疑う」ピュロン主義的懐疑を棄却している(Ⅵ, 29)2)。実際デカルトの懐疑が方法的である所以は,それが懐疑そのものを終結させる自己否定の契機を操作的に含む点にある。懐疑が破局を迎えるのはコギトの明証によってであるが,「第一省察」はまだこの明証を知らない。懐 疑とは明証性の探究であり,つまりは明証性に対する無知の告白に他ならないからである。とはいえ,懐疑は明証性を戦いとらなければならない。したがってコギトの明証を準備するのは,「第一省察」の懐疑の論理構成そのもののうちに内在していなければならないのである。}, pages = {51--63}, title = {懐疑と明証-「第一省察」の叙述形式-}, year = {1986} }