@article{oai:iwate-u.repo.nii.ac.jp:00012819, author = {小林, 英信}, journal = {言語と文化}, month = {Mar}, note = {この作品は1905年に書き上げられており,1906年フィッシャー書店刊行の文芸雑誌『ノイエ・ルントシャオ』の第十七巻一号に掲載される予定であった。既に,それは印刷も済んでいたが,作者トーマス・マンがある事情(これについては後で述べる)から,その発表を撤回する旨申し出た為にその紙面の大部分は回収,焼却された。この小説を掲載したまゝ出版されたのは全く僅かであったようだ。やがてこの作品は15年後,つまり1921年にミュンヘンのファンタズス書店から自費出版されることによって,陽の目を見ることになった。と言っても,その版ですら僅かに530部という限定出版であった。それは88ページ程度の小冊子で,一時作者マンが編集に携っていたことのある週刊誌『ジンプリツイスムス』の寄稿画家であり,表現主義の彫刻家でもあったTh.ハイネが挿絵を描いている(挿絵12,カット20)。その内の30部は特に皮製の豪華本で,親しい人たちに贈呈されている。又その30部には1906年の版と1921年の版との二つの版が併載されている。その二つの版を比較してみると,その違いが最後のジークムントの言葉だけであるということがわかる。}, pages = {165--182}, title = {『ヴェルズンゲンの血』について-トーマス・マンのWargner-Parodie-}, year = {1993} }