@techreport{oai:iwate-u.repo.nii.ac.jp:00012974, author = {池田, 成一}, month = {Jan}, note = {昭和63年度教育研究学内特別経費研究報告, 一九八〇年代後半から、日本の思想界において「ポスト・モダン」という標語が呪文のように流行している。この言葉は直接には、リオタールの『ポスト・モダンの条件』の影響によって日本に流布したものと思われるが、元々は、建築の用語であって、一九二〇年代にドイツの「バウハウス」運動などから生じたモダニズム、すなわち機能主義的・合理主義的な近代建築を批判する建築様式をさす用語として存在したものである。このような由来からもわかるように、「ポスト・モダン」という言葉には、論者によっていろいろ異なったニュアンスが付け加えられてはいても、合理主義的な近代(モダン)に対立するものとして意識されているわけで、思想的には、近代合理主義をなんらかの点で批判するという一点において共通性を持っている。 しかし、近代合理主義批判というテーマは、哲学では古くからおなじみのものであって、なにをいまさら、言葉が目新しいだけではないかともいえよう。しかし、「ポスト・モダン」の思想は、確かにそれまでの近代合理主義批判と思想的に連続しつつ、言葉通りモダンの後にくる時代として、社会的レヴェルにおいて、この「近代の克服」あるいは「近代の超克」が、すでに始まっていることを主張する点において新しい。「ポスト・モダン」は、歴史性・社会性を帯びた概念なのである。従って実際に「ポスト・モダン」的な建築が八十年代において、実際に次々と建てられていった時、「ポスト・モダン」は、目に見える形で現実に始まったとみなされた。「ポスト・モダン」が、建築に由来しつつ、思想界全般に波及していった背景には、このようにこの言葉が一つの時代概念であるという事情がある。}, title = {「ポスト・モダン」の時代における、近代(モダン)批判の問題についてのノート}, year = {1989} }