@techreport{oai:iwate-u.repo.nii.ac.jp:00012989, author = {池田, 成一}, month = {Jan}, note = {1994年度教育研究学内特別経費研究報告書, ニーチェとルソーは共に、近代の思想家の中でもとりわけパラドクシカルな思想家である。ニーチェの場合は、ハーバーマスが『近代の哲学的ディスクルス』1)で強調 するように、理性によって理性を批判するという自己矛盾にとりつかれていることは明らかであろう。ルソーも同様であり、その思想的処女作である『学問芸術論』が既 に、学問芸術を総体として批判する内容でありながら、学術懸賞論文しかもその一等入選作であるという明白な逆説を含んでおり、デビュー当初から生涯を通して、その種の矛盾に対する非難にさらされ続けたのである。 このことを考えてみるとき、ポール・ド・マンが『読むことのアレゴリー』(1979年)において、ニーチェとルソーの諸テクストを彼独特の「脱構築」に最も適合的な対象として詳細に扱っていることは、文学研究者ならずともこの二人に関心を持つ筆者のような思想史研究者にとってきわめて興味深いものであった。ド・マンはここで、ニ-チェやルソーのパラドックスの問題に対して独創的な解釈を施し、そのパラドックスの擁護・正当化を行っているからである(両者のパラドックスの指摘は、ハーバーマスの場合も含めもっぱらその思想を批判する論拠として行われてきた)。それはもちろん、デリダの影響を受けつつもデリダとも微妙に異なった彼の「脱構築」の方法に基づくものであるが、さらに注目すべきは、近代的進歩思想に反対したという以外ほとんど共通項がないどころか多くの局面で対立し合うと考えられているニーチェとルソーを、まったく平行的に共通の論理に従うものとして同じ土俵の上で描き出していることである。}, title = {ド・マンと解釈学}, year = {1995} }