@article{oai:iwate-u.repo.nii.ac.jp:00013107, author = {早坂, 啓造}, journal = {Artes liberales}, month = {Jan}, note = {[1]高島善哉は,第Ⅱ次世界大戦直後,高らかに「価値論の復位」(高島1946)を呼びかけた。それは,スミス・リカード以来の価値論の変遷──労働価値論と主観的価値論──と,価値論の「経済学から[の]追放」(同1948,p.12)という歴史を振り返る形をとりながら,その根底には,永く抑圧されて来たマルクス主義およびマルクス経済学そのものの復権の宣言が重ね合わされていた。それだけに,そこでは労働価値論こそが「市民社会の全体性」を把握し,「哲学と科学を結合」し,「経済学の科学性を確立」(同p.20)する軸心であり,ひいては,「全体性の喪失」を特徴とする「危機の時代」(同p.21)を照らす光となりうるとの自負が充ち溢れていた。しかも同時に,理論における「外面的[・技術的]合理性」と「内面的合理性」(同p.15),「悪しき経験主義や実用主義」(同p.20)と「自然法的[客観的・社会法則的]」(同p.19)歴史把握,という鋭い対立図式の中で,社会科学の科学性・体系性を追究しようとする強靭な意欲も窺われるものであった。  それから半世紀余,20世紀の終末が,「20世紀社会主義」の華々しい高揚の後の変質・退廃と自壊に近い不幸な破綻と,「マルクスは死んだ」の大合唱と,資本主義社会そのものの終末的現象をさえ彷彿とさせる混迷と荒廃のただ中で訪れようとしているとき,メガ(MEGA2)全四部門の刊行が,日本を含む国際的世論の支援によって解体の危機を脱し,とりわけ未踏の目標であった第Ⅱ部の資本論諸草稿の刊行が,日本からの若手研究者による編集協力への直接的参加もあって,着々進行しており,その最終段階にまでさしかかっていることは,マルクス主義,とりわけ資本論体系の不死鳥のような生命力と,人類史に与え続けて来た不滅の影響力とを,象徴しているものといえよう。  ところで,高島は当時,いみじくも「全体性の喪失は危機時代の特色である。したがって,全体性を回復することが再建の課題でなければならない」(高島,同p.21)と書いた。このことを想起するのは,けっして回顧趣味ではない。のちにもやや立ち入ってみるように,「経済の直接的日常的な世界を批判的に再構成する本質原理」(同p.15)としての価値論,「全経済的全機構的な現象」をとらえることができ,「全体を理論的に把握する立場」(同p.18)としての価値論への希求という彼の提起した真のねらいは,その後の価値論争では実現されたとはいえず,外観を変えたものとしてではあれ,今日のわれわれになお基本的に重要な課題として遺されていると考えられるからである。それは,まさに科学としての批判に耐えうるマルクス経済学の復位である。  また,あえてこの「価値論の復位」という表現に倣う形で,ここに「プラン論」の復位を提唱することは,一方ではこの「ねらい」との連続性を意識して求めようとするものであるが,他方では,『資本論』体系の内在的論理の追究から乖離した外面的で高踏的なプランいじりの蒸し返しの勧めではけっしてないことを強調したいがためでもある。まさに逆である。  第1に,『経済学批判要綱』の公刊以来,複数の「プラン」の存在が明らかになり,それぞれのプランの意義と相互関係,および『資本論』の体系論理に深く立ち入った追究の方法論的手がかりとしてのプランの位置づけと対応関係の吟味がなされるべきであった。にもかかわらず,それは必ずしも十分ではなかった。それは依然として外面的な図式論議として,現行『資本論』の範囲を問うという傾向に終始していた。「資本一般」説,プラン前半包含説などをめぐる論争や,「後半体系」の方法をめぐる論争が広範に展開されたのと比べて,とりわけ,マルクスの資本論体系の内部編成への志向──ないしは資本概念そのものの内部編成についてのマルクスのさまざまな思い入れをこめた論理構成の最初の構図──のまさに「初心」ともいうべき「普遍性( Allgemeinheit)−特殊性( Besonderheit)−個別性( Einzelheit)」( 以下「A−B−E構想」と略称する)というプラン構想については,ごく少数の論者によるその論理内容の吟味を除いては,これまでのところ,ほとんどまともに検討の対象とされず,一時的・過渡的な構想として,マルクス自身によってもすぐに捨て去られたものとさえ見なされて来た。しかし,各草稿をへて『資本論』にいたる──あるいは『資本論』をもってしても最終的完成とはいえない──営々とした体系構築の歩みの中で,「資本の生産過程−流通過程−総過程」の編成に即した規定内容の充実という方向とともに,その背後にあって,この「A−B−E構想」という──マルクス自身によるヘーゲル的論理カテゴリーを用いた含蓄ある──「初心」に沿った,全体系の中での諸カテゴリーの位置づけのたえざる再検討,あるいは,相互展開関係の自己批判的再吟味と再編成が,マルクス自身によって慎重かつ柔軟に進められて来たのだということが,次第に浮き彫りにされて来たといえる。いわば体系構築のための方法論理の隠れた尺度ないし「副軸」であり,それにもかかわらず一貫して無視されて来た体系解読の「ミッシング・リンク」であった。  第2に,『資本論』全3部が未完成であること自体は,早くから知られていたことであるとしても,その成立史である諸草稿の思考過程の全容を追跡することが,メガ刊行によってほぼ可能となった現地点では,マルクス自身が,どのような問題意識・体系観・方法論理をもって作業を進め,どのような難問にぶつかり,どう解決したかというような細部の追究が可能となった。それとの対応で,プランをもはや内容とかけ離れた単なる骨格図式,ないしはヘーゲルの論理用語の外在的な「適用」の寄せ集めだとして「いじりまわす」のでも捨て去るのでもなく,まさに「資本」概念の内在的・包括的に首尾一貫した方法論理の総体として対自化しつつ検討することが可能になり,ひいては,その方向の延長線上に,未完の『資本論』体系の完成を展望し,実現して行くことも,不可能ではなくなったといえるからである。  こうした意味で,『資本論』諸草稿の全容がほぼ復元された現地点においてこそ,従来の狭義のいわば内容吟味なき「プラン論争」にとどまることなく,『資本論』体系の内在的論理の再把握を包摂した,充実した内容を含んだ全体像の対自化,その成立過程における「プラン変更の」必然性の確認と変更のプロセスの検出,さらには,この人類最高の遺産の一つといえる『資本論』の「芸術的全体」としてのいっそうの充実と完成という大局的な展望を持ちつつ,その方向に向かう共同事業への参画を目指して,体系プラン論議の回顧と問題点の摘出,および若干の展望を試みることには,大きな意義があるということが出来る。}, pages = {121--155}, title = {「プラン論」の復位 : 資本論体系成立史研究への回顧と展望}, volume = {97}, year = {2016} }