@article{oai:iwate-u.repo.nii.ac.jp:00013115, author = {カールキビスト, アンデス}, journal = {アルテス リベラレス}, month = {Jun}, note = {北イングランドの要塞で1973年,木製の書き板が初めて発掘された。その後次第に多くの書き板が見つかっている(Birley 2011:22-26)1)。ウィンドランダはローマ帝国の軍によって紀元後1世紀に北イングランドに建てられた要塞であったため,軍事と関連する書き板が多いが,公事や私事の内容もある(Bowman 2003:10)。これらの書き板のうち,一枚は紀元後120年代に書かれた買い物リストである(「Tab 184」)。この書き板には様々な商品が記されているが,その中に胡椒(piper)も載っている(BowmanとThomas 1994:135-7; Birley 2011:105)。 周知の通り北イングランドでは胡椒は採れず,紀元後1~2世紀のローマ帝国で消費された胡椒は全て南インドからのものであった(Miller 1968:80-81)。よって,ウィンドランダで買い物リストに「胡椒」を記した兵士は南インドから北イングランドまで運ばれた商品を購入しようとしたことになる。この貴重な資料は驚くべき長距離貿易のネットワークが存在したことを示している。 ローマ帝国の長距離貿易については古くから研究が行われている(Warmington 1928; Teggart 1939; Wheeler 1954参照)。この初期の研究は大陸のルートを強調しているが,最近は海のルートも注目されている(McLaughlin 2010; Tomber 2008; Sidebotham 2011参照)。これまでの研究がルート,商品,航海術などのような物理的で技術的な要素を探求しているのに対して,本稿は,貿易の裏に働いている経済的な事情(第2節)を分析の上,貿易ネットワークの参加者(第4節)にとってこの長距離貿易がどのような意義があったのかについての新しい成果を目指している。 幸い,古代ローマの人々は書くことを好み,中世の修道院に多くの文書が保管されていたので(Janson 2002:119:20),古代ローマの研究にとってそれらの文献は大切な資料の一つとなっている。考古学的な資料も次第に増えている。本稿の舞台となっている南インドから北イングランドでも様々な遺跡が発掘され,多くの資料が出土している。これらの資料を分析しながら,現代の研究を参考にし,ウィンドランダの胡椒が歩んだ道を辿っていくこととしたい。}, pages = {135--163}, title = {ウィンドランダの胡椒 : 南インド~北イングランドの貿易ネットワークを辿る}, volume = {96}, year = {2015} }