@article{oai:iwate-u.repo.nii.ac.jp:00008901, author = {劉, 海宇}, journal = {岩手大学平泉文化研究センター年報, Hiraizumi studies}, month = {Mar}, note = {中国古代の庭園を分類する場合、一般的には皇帝直属の大規模な皇家苑囿と貴族・富豪の私邸庭園とに大別される。『史記』秦始皇本紀によれば、秦の始皇帝は戦国諸侯を滅ぼすたびに、その宮室を模して首都咸陽の北の山麓に宮殿を建てたという。天下を統一すると、さらに渭水を中心に、離宮別館・苑囿台池を造営し、中でも蘭池宮・上林苑・阿房宮等は現在においても有名である。ところで、始皇帝の贅を尽くして造営した苑囿に対して、秦代の官僚や富豪の私邸庭園については、将軍王翦の「美しき田宅園池を請ふこと甚だ衆し」を除けば、史書にほとんど記録を確認できない。いわんや秦代の庶民の私邸庭園においておやである。もとより資料の制限により、従来の研究では秦代の宮廷苑囿に関する議論は多く見えるが、秦代の私邸園池については研究が少ないのが現状である。  幸いにも、近年、中国各地から秦代の簡牘資料が相次いで出土しており、秦代の研究ではこれらの簡牘の利用なくして進展は考えられないと言えよう。秦代の簡牘資料では、「数術」と分類される一群がある。「数術」とは、『漢書』芸文志では「太史令の尹咸をして数術を校せしむ」の顔師古注に「占卜の書なり」とか、「凡そ数術百九十家、二千五百二十八巻。数術は、みな明堂・羲和・史卜の職なり」とあるように、古代の天文・暦法・占卜等に関する学問のことである。「数術」の書籍には天文・暦譜・五行・蓍亀・雑占・刑法の分野が含まれており、出土した「数術」簡牘にもこうしたすべての分野が包括されている。それでは、秦代の「数術」簡牘文献に官僚や庶民の私邸園池に関する資料があるのだろうか。  本稿では、出土した秦代の「数術」簡牘に見える池を中心とする私邸庭園について、関係資料を収集・分析することによって、秦代の私邸庭園の地割や池の性格を明らかにし、あわせて成立年代が平安時代末期とされる東アジアの最古の造園書『作庭記』における造園の禁忌思想と比較してみたい。}, pages = {85--93}, title = {秦代の「数術」簡牘文献における私邸庭園及びその性格 : 『作庭記』の造園禁忌との比較を兼ねて}, volume = {2}, year = {2014} }