@article{oai:iwate-u.repo.nii.ac.jp:00008913, author = {李, 徳方 and 劉, 海宇}, journal = {岩手大学平泉文化研究センター年報, Hiraizumi studies}, month = {Mar}, note = {平泉山荘は唐代の宰相李徳裕(787-849)が洛陽郊外に建てた別荘である。山荘は私邸の郊野庭園の特徴を備え、景勝は当時最も優れていたとされている。『旧唐書・李徳裕伝』に「東都伊闕の南に平泉別墅を置き、清流翠筱あり、樹石奇幽なり」という。康駢『劇談録』に「李徳裕の東都平泉荘、洛城を去ること三十里、卉木台榭あり、仙府に造るが如し。虚檻対引し、泉水縈回すること有り」とある。張洎『賈氏談録』に「平泉荘周囲十里にして、台榭百余所を構ふ」と見える。李徳裕『霊泉賦』に「余西嶺に居り、平壌より泉を出だし、広さ尋を逾えずして、深さ則ち尺を盈す」という。唐末宋代以降、山荘は廃れ果てて、後人は遂にその所在を求めがたい。今の伊闕(龍門)西南梁村溝村付近は、史書に記載する山荘の位置と基本的に一致し、世にここは山荘の旧跡と言い伝えられ、園林史学者の王鐸先生はそのために山荘の位置示意図を描き出した。それでは、今の梁村溝一帯は果たして山荘の旧跡であるのか。手がかりとなる歴史遺跡がある程度残されているのか。これらの疑問を抱えて、2012年の冬日に筆者たちは梁村溝付近で現地踏査を行った。ここで今回踏査の収穫を簡略に記す。}, pages = {29--35}, title = {洛陽平泉山荘遺址考古踏査略報}, volume = {1}, year = {2013} }