WEKO3
インデックスリンク
アイテム
ゲームとしての言語-ソシュールとウィトゲンシュタインについて-
https://iwate-u.repo.nii.ac.jp/records/12866
https://iwate-u.repo.nii.ac.jp/records/12866081e45ab-2bc3-4ee6-95ee-5744f4d7b850
| 名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
|---|---|---|
|
|
|
| アイテムタイプ | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 公開日 | 2010-03-24 | |||||||
| タイトル | ||||||||
| タイトル | ゲームとしての言語-ソシュールとウィトゲンシュタインについて- | |||||||
| 著者 |
斎藤, 伸治
× 斎藤, 伸治
|
|||||||
| 著者別名 | ||||||||
| 姓名 | SAITO, Shinji | |||||||
| 著者(機関) | ||||||||
| 値 | 岩手大学人文社会科学部 | |||||||
| Abstract | ||||||||
| 内容記述タイプ | Other | |||||||
| 内容記述 | 現代言語学の祖とされるソシュールは,古代ギリシア以来ずっと支配的だった言語に対する1つの見方・問題意識を,無意味なもの,言語の本質を捉え損なうものとして退けたということが言われる(丸山(1981), Harris and Taylor(1989)などを参照)。このソシュール以前の西洋の言語に対する見方というのは,ソシュールの言葉を用いれば, 「名称目録的言語観」(nomenclaturism)というものであり,平たく言えば「言葉とは本質的に事物を名指すものであり,その事物は言葉とは独立に存在している」という言語観であった。西洋における最初の本格的な言語論であるプラトンの『クラテュロス』篇(伝統的な副題は「名前の正しさについて」)は,この言葉と事物との間の関係が自然的なものかあるいは人間社会の側の慣習にすぎないものかについて論じたものであり,この書以来ずっと,言語とはまず基本的に外界のものを名指すものであるという言語観が,西洋の思想界を支配してきたということになる。 |
|||||||
| 出版者 | ||||||||
| 出版者 | 岩手大学人文社会科学部 | |||||||
| 登録日 | ||||||||
| 日付 | 2010-03-24 | |||||||
| 言語 | ||||||||
| 言語 | jpn | |||||||
| 資源タイプ | ||||||||
| 資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||||
| 資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||||
| 著者版フラグ | ||||||||
| 出版タイプ | VoR | |||||||
| 出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 | |||||||
| 書誌情報 |
言語と文化・文学の諸相 p. 199-215, 発行日 2008-03-21 |
|||||||